出来ないものは出来ないと割り切った人のブログ

先天性心疾患の難病人間が色々言ってます。

人は思考を変えることができる

こんばんは。

身体を洗う時『スポンジ』から『垢すり』に変わったのが16歳のham*です。

 

今回は思考の話です。タイトルみりゃ分かりますね。すみません。 

 

 

毎度の自分語り。

後の項目の前に自分語りをさせてくださいね。ヤダって人は飛ばそう!待って!ページ閉じないで!次の項目に行くんだよ!

 

えー…自分は健常な両親の元に生まれて、難病を抱えました。

多分これはただただ運が悪かっただけです。

両親や親族を責めては一切ないです。むしろ多大なる感謝を胸に生きています。

 

以上前座。

 

僕が思考を変えた話。

皆さんは思考をしたことがありますか?

ありますよね。はい。

 

では、物事に対しての考え方を変えた事はありますか?

多分これもありますよね。

 

僕は前回の「出来ないものは出来ないと割り切る」とかを含めると、まぁまぁな数があるのですが、最近は「障害者が子供を作っていいのか」に対しての思考を変えました。

 

少し前までは「障害者は子供を作ってはダメ。障害者が生まれる可能性があるから」とか「もし自分が子供を作って、同じ病を抱えたら…」という考えをしておりました。

 

 

とまぁ、こんな話をしてもしょうがないので結論を言うと。。。

 

好きにした方が人生楽しいよ!

 

です。

 

え、でも「子供って親のエゴの塊」じゃね?

「子供は親のエゴの塊」かもしれません。てか、そうです。

 

親族関係で辛い人は多いと思います。

「なんで産んだんだよ!」と思うかもしれません。だってあなたは親のエゴだから。

子は親を選べません。

 

でも、でもですよ?

そんなあなたも親と同じく、好きにしてみてください。

親に「産んでくれてありがとう」と言える日は来ないかもしれません。

そんなあなたに、これだけは伝えたいと思います。

 

あなたはあなたのエゴで生きてほしい。

 

「お前はそんな苦しい環境じゃないじゃん!」って?

「そんな事言うのは無責任じゃん」って?

そうですね…

そんなクソ真面目で勤勉なあなたに1つ。

無責任になってみよう。

 

んで、なんの話だっけ?

思考を変えることができるという話でした。

 

考え方の軸をまずは疑ってみると、違った見方ができます。

 

あとさ~ちょっと愚痴なんですが~

「昔〇〇だったじゃんw」とか言ってくる人いるじゃないですか~?

「んで???????」しか思わないですよね。

 

人は思考を変えることができますし、素晴らしいです。

しかし、気持ちや思考を一切変えないというのもまた、尊いものです。

 

僕は中学生の時からブラックサンダーが好きです。

 

個人的な結論

昔、僕は病気で生まれたことから「なんで産んだんだよ!」という思考になったことがあります。

でも今は「産んでくれてありがとう」なんですよね。何故か。なんでだろう?(他力本願寺

手術とかで親が「できることなら変わってあげたい…」と言ってくれたあたりから、そう思い始めたのかもしれません。

元々親は僕の病気への理解が勿論ありました。

違う生命体なので『完全な理解』はできないと思っていますが、「理解しようと一生懸命」と認識するのに時間がかかってしまいました…

そこから、現在に至るまで積極的にコミュニケーションを取っています。

 

僕は持病で親より早く死ぬかもしれません。

もし自分が親の立場であった場合、「先に死のうが障害があろうが、可愛いものは可愛い」なんじゃないかなと。

自分より弱い生物な上、先に死ぬと分かっているけれど、それでもペットを飼うのと同じだと思います。

可愛いものは可愛いです。

 

つまり…

障害者として産まれた僕ですが、親が産んでくれたおかげで楽しく生きています。

 

さぁ

 

明日も仕事だ———————