出来ないものは出来ないと割り切った人のブログ

先天性心疾患の難病人間が色々言ってます。

僕の寿命

こんばんは*mahです。

 

今回も自分語りします。

 

 

寿命の話のその前に、自分の病気を振り返る。

見出しめっちゃラップっぽい。

 

…え~まず僕の難病なんですが…

 

先天性の完全大血管転位症(指定難病209)です。

III型なので、重篤らしいんですがそこら辺は置いておいて…

完全大血管転位症って病気はググるといくらでも出てくるので、興味がある方は 

こちらのサイトを見てください。

 そんで、寿命って調べると一切治療をしていない患者の場合、6カ月の85%が亡くなっているというデータが出てきます。

じゃあちゃんと手術した人はというと…確実なデータは無いです。

何故なら、今まで大体亡くなっていたからです。

自分は成人しているのですが、全く同じ疾患名の「成人」を見たことが無いです。(ネットはカウントしてない…というか出てこない)

なので、僕の病気は他の人よりめっちゃ軽いと自分に言い聞かせております。

今まで何人も何人も亡くなった病気を持っていて、幸いなことに生きているので。

 

僕の病気情報はこれくらいにしておきましょう。

あと10個くらい後天性心疾患+合併症があるので。

 

 で、寿命の話

今現在こうして不整脈や胸痛と闘っているわけですが、見込み的に「40歳くらいかな」と思っています。

多分めちゃくちゃ長生きな方だと思います。

そもそも自分は10歳まで生きれるか分からないと言われた人間ですので、既に長生きなのです。

 

10歳まで生きれるか分からないけど生きているということは、医療の発展が凄まじいと言わざるを得ません。

もしかしたら40歳以上まで生きれるかもしれません。

…本当の事を言えば「短い寿命と考える方がお得感ある」という僕の性格の問題なので、ここの詳しい年齢はあんまり考えてないです。

発作で明日死んだとしても、「あ~やっぱね」で済むので。

最悪の状況をシミュレートした方が物事を考えやすいです。

 

大前提として、人はいつか死ぬので。

 

とは言っても…

個人的にやっぱり長生きはしてみたい。(それに意味があるかは別として)

 

死んだあとどこに行くのか~みたいな話は置いておいて、その故人が亡くなった時悲しんでくれる人がいるというのは、とても故人にとって有難い事なんじゃないかなと思っております。

 

寿命が長い分、「愛される時間と機会」は多くなってくると思います。

同時に「どれだけの愛を注がれたか」というのもあると思います。

生き物が「思い出」になるのは辛いです。

しかし、その愛が他の人の心に深く残ってくれればこれほど自分にとって有難い事はないかなぁと思います。

 

とかいう話をインターネットとかいう、いつか消えるであろう掃溜めに書いてみました。(台無し