僕という障害持ちの人間が考える障害者差別
おはようございます。ham*です。
今日は障害者差別についてお話したいと思います。
なんだか今回の記事は長いです。
ちなみにこの記事は個人的な考えです。一部事実も交えますが。
「障害者」と「障がい者」と「障碍者」
「障碍者」という表記、見慣れない方もいらっしゃるかもしれません。
もうほぼ廃れたと思っておりますが…今Twitterで検索したら割といたので、物好きもいるんだなぁと思いました。
とは言ったものの、調べてみると元々「障礙」と昔から言われているそうで、戦後間もない頃にでた「当用漢字表」から「礙」が消えて、同じ読み方の「害」となったらしいです。
「障礙」の略字は勿論「障碍」です。
ですが、今は「障害」表記が一般的であります。
なので、僕は「障害者」という表記をいつも使っております。
というか一番馴染みがあるので。
しかしながら「障礙」が一般的であった時代に僕が生まれていれば、同じように「『障害』と表記するなよ面倒だな」と言うと思います。
この項目の本質は「表記を変えたところで僕の病気は何も変わらん」ってところです。
面倒な人たちが面倒事を増やしているんだなと思いました。
面倒な言葉狩りは避けたいものです。
実際生きてて「障害」ばかりですし。
良い事も勿論ありますが。
つまり、こんなクソどうでもいいことを考えるなということです。
障害者差別を受けた話
過去所属していた企業で、僕は障害者差別を受けました。
大体が「甘えるな!」とか「嘘つくなよ」の怒鳴り声なんですが、ドクターストップもお構いなし、心無い言葉を言われたこともあります。
一番ヤバかったのは、出社直前、僕の動脈が切れて出血したので、救急車を呼ぶついでに休みの電話をしたのですが、「嘘つくなよ」の一点張りでした。
何とかその日は休めましたが、数日は安静にしてねと医者に言われましたが、翌日パワハラにより僕は出社しました。
現在こうして記事を書いているので、何とか生き延びました。
それが決め手で辞職しました。
めちゃくちゃハッピー!
少し前までフラッシュバックして薬飲んでたりしてたのですが、なんとか今となっては良い経験を積んだなと思っております。
彼らは障害者と接したことが無かったと思います。
僕の病気は見た目では分かりません。
しっかり見ればチアノーゼで肌の色が紫だったりますがね。
そんな僕は紫色が好きなのですが、最近紫色のカラーワックスを購入して付けております。
髪の毛までチアノーゼかい!っつって一人で笑ってます。
楽しいね。
話が脱線しました。
反省点ではありますが、もっと自分の病気について勉強して話すべきだと思いました。
詳しくは聞きませんでしたが、見た目で分かる人には「あいつはお前より頑張ってるぞ」と言っていたので、見た目で分かる人には頭悪いなりに思考を巡らせていたようです。
見た目では分からない障害者と接してこなかった人たちに「いきなりだけど配慮してね」は難しいなぁと思いました。
一部の人には理解していただけましたが、仲が良い同僚を除いて1人です。
その方はめちゃくちゃ人の痛みが分かる方なので、有難さしかなかったです。
「配慮」と「甘え」は違います。
僕は逆手にとって人生ラクに生きようとしていますが。
障害者差別は無くなるか?
僕は「無くならない」と考えております。
今現在、様々な場所でバリアフリー化や障害者の為の活動が行われているのはとても喜ばしい事です。
しかし、人は悪口を放ちます。
僕の考えている理由は下記2つ。
- 人は人のマイナスな部分を見ると、それを揶揄します。
- 自分より優れている人への嫉妬から悪口を放ち、自分を正当化しようとします。
もう根本的に人間はダメなんだなと考えております。
先ほどの理由で考えた結果「障害者差別は無くならない」と考えます。
皆、人間がどれだけ愚かなのかが描写されているPUI PUI モルカーを見よう!
誰しもが「障害者」になり得る
最近はSNSの発展により、障害者を見る機会が多くなりました。
また、タレントや芸能人の方も「実は…」みたいな形で公表するケースも増えたと感じます。
そう、誰しもが障害者になり得るのです。
前の項目で、「今現在、様々な場所でバリアフリー化や障害者の為の活動が行われている」と書きました。
昔に比べて今は風当たりも弱く、福祉整備もある程度整ってきていると僕は考えております。
ですので、心配する必要は無いと思います。
とは言っても、病気にならないのが一番です。
昔は障害者を神格化していた。
そうらしい。
息するから褒めてほしいわ。